2021年に逝去された主なカープ関係者
本日で2021年も幕を閉じますが、今年は古葉元監督など大物OBの訃報も相次ぎました。そこでこの1年逝去された主なカープ関係者をまとめてみました。
筆頭は古葉元監督
やはり筆頭はなんといっても、カープ初優勝の時の監督でもある古葉さんですね。1975年から1985年までの11年間カープの監督を務められました。
最近のカープの監督は5年務めることが多いですが、古葉さんは、その倍以上です。これはカープ歴代の監督で最長だと思います。
また、カープがこれまで日本一に3回輝いていますが、すべて古葉監督が成し遂げたもので、その後は誰も達成していない偉業です。
やはり、カープ史上最強の監督だと言えます。
往年の名海外スカウトフィーバー平山
続いては、助っ人外国人として活躍し、後に長年海外スカウトとして活躍した日系人のフィーバー平山さんです。
なんと、選手時代、パスポートを持っていたという理由で、当時外国だった沖縄に渡り、安仁屋氏をスカウトしたのは有名な話です。
引退後は、ギャレット、ライトルなど、優秀な外国人を数多く送り込んでくれました。
今年、外国人選手がさっぱりだっただけに、フィーバー平山さんの偉業が偲ばれます。
シェーン、ギャレットも
その優秀な外国人選手で、ホプキンスとともに、カープ初優勝に貢献したシェーン。確かスイッチヒッターであり、両打席でホームランを打っていました。
また、多少の日本語も喋り、お茶目なこともしていましたし、日本のパチンコや蕎麦にも興味をもっていました。
ギャレットは、オールスター戦で3本のホームランを放つなど、長距離砲として活躍しました。また数試合ですが、当時珍しい助っ人でキャッチャーもやっていましたね。
最後は高橋里志
南海を戦力外となり、古葉監督が獲得しました。カープでは最多勝を挙げるなど大活躍しました。
気性が荒く、降板後、悔しさからベンチ裏の大鏡を壊したこともありました。その後、日本ハム、近鉄にトレードされますが、引退後、広島に戻ってきてくれたのは嬉しかったですね。
最後に
今年は、古葉監督を始め、カープが強かった昭和50年代にゆかりのある人が多く亡くなりました。寂しいですね。
ご冥福をお祈りします。
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