本日から日本シリーズが開始されます
本日から、プロ野球最後のシリーズ、日本シリーズが開幕します。出場権のないカープには関係のない試合ですが、ここで12球団で最も日本一から遠ざかっているチームを調べてみました。皆さま、だいたい察しが付いていると思います。そこで、カープの戦績を他球団と比較しながら調べてみました。
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最後の日本一は昭和の時代
カープは、ここまで優勝9回、日本一3回を数えます。セリーグで優勝回数9回というのは、中日と並び圧倒的一位38回を誇る巨人に次いで2位の数字です。しかし、日本一となると、巨人、ヤクルトに次ぐ回数となっています。
当然ですが、日本一というのは、12球団で1チームですので、セパ併せて日本一の回数を見てみると、巨人(22回)、西武(13回)、ソフトバンク(11回)、ヤクルト(5回)、オリックス(4回)、ロッテ(4回)に次ぎ、日本ハムと並び7位となります。
チーム | 優勝 | 日本一 | |
1 | 巨人 | 38 | 22 |
2 | カープ | 9 | 3 |
3 | 中日 | 9 | 2 |
4 | ヤクルト | 8 | 5 |
5 | 阪神 | 5 | 1 |
6 | 横浜 | 2 | 2 |
ヤクルトは短期決戦に強い
優勝回数では、カープが2位、ヤクルトは4位ですが、日本一の回数では、ヤクルトがカープを逆転します。
クライマックス制度が導入されてからは、優勝イコール日本シリーズ進出ではないので、ややこしいですが、ヤクルトは優勝8回で日本一5回と、セリーグで強い年は両リーグ併せても強いですね。
カープは、9回優勝していますが、そのうち日本シリーズに進出したのは8回、うち日本一は3回ですから、半分以上のシリーズで日本一を逃しています。
最後の日本一は1984年
カープが最後に日本一となったのは、1984年(昭和59年)のことですから、今からもう37年も前のことになります。
優勝監督は先日亡くなった古葉さんです。ですから、古葉監督の後を引き継いだ阿南監督以降、日本一の監督は出ていません。もちろんその前もいませんから、カープは古葉監督以外では日本一になっていないということになります。振り返ってみると、古葉監督の偉大さが伝わってきますね。
1984年は「ワールドシリーズ」も
1984年は、1934年(昭和9年)に日本プロ野球が誕生して50年というプロ野球界にとって特別な年でした。このため、メジャーリーグのワールドチャンピオンチームを日本に呼んで、日本一となったチームと「真のワールドチャンピオン」を決めようというイベントがありました。
ただ、アメリカの場合、1984年にワールドチャンピオンになったチームが来日というのは日程の都合上、難しかったので前年にワールドチャンピオンとなった、オリオールズが来日しています。
場所は、後楽園球場や横浜スタジアムだったと思いますが、初戦、川口が完封して先勝するも、その後は4連敗を喫しています。
カープと阪神は平成以降日本一なし
上記のとおり、カープは1984年以降、日本一になっておらず、これは12球団で最も遠ざかっています。この次の年1985年に阪神が日本一に輝いていますが、阪神もこの年以降、日本一はありません。
今日から、ヤクルトとオリックスが日本一を掛けて戦いますが、もしオリックスが日本一になれば、パリーグ6球団すべて21世紀に日本一に輝くことになります。
セリーグでは、カープ、阪神、そして横浜は、1998年(平成10年)に日本一に輝いていますが、それ以降日本一はありません。つまりこのセリーグ3チームは21世紀に入って日本一になっていないということになります。
1986年と1991年は惜敗
カープが最後に日本一となった1984年の次に日本シリーズに進出したのは1986年、阿南監督1年目、その次は1991年山本浩二監督3年目です。この2年ともに相手は西武でしたが、カープは3勝までいきましたので、本当に惜しかったです。
1986年は、初戦、この年で引退する山本浩二の起死回生の同点ホームランで追いつき引き分けに終わると、そこから3連勝で、早くも王手を掛けます。ただ、ここからまさかの4連敗。史上初の第8戦までもつれ込んだシリーズでした。
1991年は、初戦負けるも2戦目勝ち、3戦目負け、4戦、5戦勝ちと、ここも早く王手を掛けながら連敗して日本一を逃しています。ただ、この年は戦前から、圧倒的に西武有利、カープの日本一はほぼないだろうと言われていただけに善戦だったと思います。
早く不名誉な記録から脱出を
このように、カープは37年もの間、日本一になっていません。来季は鈴木誠也も抜けますし、過渡期に入っていますが、何とか早くこの不名誉な記録を脱してほしいですね。
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